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芸大講座「琉球古典音楽の概要」

琉球古典音楽とは
古くから各地に伝わるオモロ、クェーナなど、古謡、祭祀音楽、労働歌、遊び歌、
祝い歌などを基に、王府の躍り奉行と呼ばれる芸能の専門家達により完成された
宮廷音楽を言う。大陸から伝来された三弦と共に、大和の謡曲などの影響を受け
ながら琉球独自の楽曲として完成された。

赤犬子(あかいんこ)
1470年代、尚真王の頃、現れた天才で、三弦を持って各地を放浪し、古来の歌や
新作の歌曲を広めた三線音楽の開祖と言われているが、伝説上の人物である。

琉球古典音楽の推移
? 湛水親方(幸地賢忠)
湛水親方により創始された。彼は退廃的になりがちな音楽を立て直すべく、
演奏者として技を磨き、創作にも取り組んだ。そして、歌三線を教養ある
男子の手に移し、将来の発展の道を開くと共に伝統を作るきっかけとした。
作田節、首里節、ぢゃんな節、諸鈍節、暁節、早作田節、揚作田節の七曲
が伝えられている。

? 屋嘉比朝奇
照喜名聞覚の豊かな個性を受け継ぎ、これまでの伝統に大和の謡曲を取り
入れ「当流」を打ち立てた。さらに、中国の楽譜に倣って「工六四」(クル
ルンシー)を創案した。これは後の「工工四」の前身となるものである。

? 知念積高
稀有の美声に加えて豊かな感性と広い知識を兼ね備えていて、従来の「工六四」
をさらに工夫を加え、現在の「工工四」を完成させた。

? 安冨祖正元
知念積高の高弟で、歌唱は公家風であり、指導法は口承を原則とする。
「安冨祖流」と呼ばれている。

? 野村安趙
知念積高のもう一人の高弟で、その歌唱は大らかで武家風である。
尚泰王の命により欽定工工四」を編纂した。野村流と呼ばれている。
門下の伊差川世瑞は弟子世禮國男と共に、「聲楽譜附工工四」を著わし、
これが各流派の基本的な教科書になっている。

ペーチン