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芸大講座「近世琉球の社会構造」麻生伸一(全学教育センター講師)

近世(江戸時代)琉球の身分制度
羽地朝秀が摂政に任じられた際、諸人の筋目(身分)について、王府はよく把握していなかった。
そのため、系図(家譜)を作るよう初めて指示し、この時より諸士・町百姓・田舎百姓の身分制度
が確立した。

諸士・・・譜代士、両先島士、新参士(元百姓で献金や功績により認められたもの)
百姓・・・町百姓(大工、左官など諸工芸に従事した職人)、田舎百姓(農民)
身分間及び農民の異動は厳しく制限され、平民は士族に絶対服従を強いられた。

科定(とがさだめ)
田舎百姓共居村を逃公役を避る者ハ、科鞭四十五申付札本江可差帰(新集科律)

疲弊する農民
百姓は、王府、薩摩、地方役人への二重三重の過重な税負担に加え、暴風、旱魃、
による飢饉、災害、疫病などにより大量の餓死者を出すなど窮乏の末、身売りする
農民が後を絶たなかった。

孝女伝
つるは浦添間切伊祖村の出身であるが、弟が出産の折、母親死去、負債返済のため
4歳の時、辻(遊郭)に身売りされ、成長して遊女となる。
父親も労働力として国頭間切宜名真へ身売り、一家離散により弟も城間村の兼城へ
養子に出され成長して労働力として使われる。
後年、三名は大和人の援助で再会を果たすのだが、こんな例は珍しくはなかった。

ペーチン