大哲会ブログDaitetsukai Blog

近代八重山の文学~芸大文化講座より

第1期(空白期)1879年(明治12)~1902年(明治35)
●この時期は資料が乏しく、見るべき文学活動はない。

第2期(黎明期)1917年(明治36)~1916年(大正14)
●この時期の作品の特徴は、実学から風雅な趣味の世界への
移行にある。

●俳句結社「八重山和風会」が新聞紙上に現れる。
「湯上りや用も忘れて夏の月」(遠藤利三郎)
「濡れ色の花大根や朝の月」 (屋嘉宗徳)

第3期(揺籃期)1917(大正6)~1925(大正14)
●この時期は、関東大震災、治安維持法や普通選挙法の公布
など不安定な社会状況下、新聞の創刊、俳壇、川柳、新体詩、
など新しい動きが活発に誕生し、創作活動が旺盛になった。

●「先嶋新聞」が創刊された。

●伊波普猷、柳田国男、折口信夫、佐藤惣之助らが来島して
文壇に刺激を与えた。

●八重山琉歌会、八重山俳壇、新川柳結社「共鳴吟社」、
碧湖会短歌研究社などが相次いで誕生した。

●新体詩が登場し、口語自由詩による新しい表現方法により
多くの作品が生み出された。

●琉歌
「拝もことの花肝に染つつて 菊の花匂ひ移しあげら」(我那覇孫著)

●川柳
「新時代女が男を口説けり」呑気坊

●和歌・短歌
「鶯の聲もしめりてさき匂う 花のさかりに春雨そふる」(伊舎堂孫詳)
「あらはまのまさごにましるたから貝 むなしき名さえなほうもれつつ」(柳田国男)
「山暗み灰色の雲ひくう垂れて心おもたき八重山の旅」(山口三路―山之口獏)

●詩
「哀詩 望郷の涙」黒島致良
落ち葉朽ち積む山奥に      自然に抱かして眠るなる
響は絶えゆく杣人の       されど繁落る望郷の
斧振る力も恨めしく       涙は蘭けく。足引の
かすかに消えゆく山彦に     峯に宿る白雲に
深き胸の憂ぞ傳ふなる      吾が生れ島波照間の
哀れ!雄大に沈む夕空に     空に揺れて振らせよと
萬象無聲に響き渡り       繁に涙をは。-吾人の
思郷の心ぞ深みゆく       寂れ果てゆく思を
ああ天地しようあり、吾人は   知らせてくれよと朝な夕な
無限に彷徨ふ霊魂を       千々に碎く胸の悩み。

●小説
「父の骸骨を抱いて」 煙雨生
彼はとうとう父の頭骨を抱いた、あーこの頭骨よ!4・5年前までは
温容玉のやうだったあのなつかしい顔がもうこれになってしまった
のである~。彼の目からはじめて熱涙が滂沱として頬を傳ふた~
自分の目から止度もなく流れる泪、この顔、この手、この足、この思想
自分の何もかもこの骸骨とは絶対の影響がある、交渉がある、関係がある
から考えると、この人生、この大宇宙といふ絶大絶妙なる哲学的の大問題
に逢着して静寂に瞑想してみた。何故にこの骸骨の主は自分の働いた最も
大きい仕事の出来映えを見る事なしにかうなったのか?この骸骨は今、
自分の前世で産んだ子供が自分の頭骨を抱いて、人生の難解、宇宙の
不可解、父子の恩愛に無限無量の感慨に耽りつつある事を知っている
のであらうか?

第4期(成熟期)1926(大正15)~1936(昭和11)
●この時期は、大正から昭和への世替わり、金融恐慌、日本共産党粛清、
満州事変勃発、犬養毅暗殺、国際連盟脱退、2・26事件などがあり、ますます
政情は混迷の度を強めていった。

●八重山でも、こうした国内外の激動する出来事や思潮に、同時代的に敏感に
反応して、青年雄弁大会の開催、教員思想の取締り、文芸活動、批評活動が
活発化した。

●「草の葉と月光は食べ過ぎた」白濱冷夢ー大濱信光
草の葉は牛馬が食べるだろう
月光は屋根が浴びるだろう
かって詩人は預言者であった
今の詩人は道草を食っている廃人である
静かなる感傷と瞑想は掘立小屋に埋めてしまえ!
蒼白い感覚の花火は火遊びに興ずる子供の陶酔である
音楽隊が街をぬた打ち廻って通る
めそめそ詩人の長髪は切り取られて
塵箱の中で悲鳴を挙げろ!
ああ!草の葉と月光は食べ過ぎた
規那鉄ブドー酒がほしくなったのだ

●「銅鑼の憂鬱」伊波南哲
宵の電車は               おお、垢じみた半纏に身を包む小公子よ
さまざまの想ひと運命を乗せて      その蒼褪めた両頬とかじかんだ魂は
蒼白い燈火の海を疾走している      貧故に大人びたその姿はまた
晝の労働に疲れ果てたのであろうか  ??????? 虐げられたる全貧民階級の姿ではないか。
色褪せた半纏に身を包んだ労働者が    おお、いとしい弟よ・・・
こくりこくりと居眠りをし續けている   俺の血管の一部よ・・・
あまり俺に靠れかかてくるので      何が遠慮なんかいるものか
今一度労働者の顔を見直したら      いいからもっと近くにずりよってお出で
おお、おまえは             俺は、いま
労働者と名付けるにはあまりにも可憐な  おまえを力一杯にだきしめて
よわよわしい少年ではないか。      頬ずりしたい衝動に駆られているのだ。

●「不統一な詩」宮鳥 鋭(宮良高夫)
八重山は蒼褪めている            曠原にマラリヤの嘲笑が氾濫する
ひょっとすると永遠に健康を失ふかもしれぬ  従順な農民が従順に搾取される
資本主義が八重山舐めつけている       注射も アヂも 今暫く躊躇する
三味線の哀音が奇怪な泪を絞る        曠原に 田園に
生き残った罹災者のやうな女の歌が      新しき農民を生み出す事は
浅ましく闘争する人間の欲情と感傷に役立つ  大きい仕事だ
陰部を露出し性欲を誘発するのが       鈍い銅貨の感触が全村を包んでいる
資本主義の正体だ              黒潮の暖流に孤島八重山よ
八重山の横腹は黄色くただれた病馬のそれだ  今こそ汝の仮面を勇敢に見た
八重山の心臓さへが醜くも変態しやうとする  詩の国 歌の国 舞の国
蠢動する怪物の情熱が            おお、そんなものは悲しき玩具
打ち上げられた花火の様に破裂するとき    新鮮な展開もない毀れた孤島
可憐な真紅の花弁が畦道で交接する      乳房の如き弾力性を喪った島・島・島
深夜の野良に猪の様な戀愛が咲き       その醜悪な仮面を揚棄せよ
島人が年中伝統を正直に反芻する       自惚れすぎた島は今こそ過去を清算すべきだ
^                     八重山は新しく塗色されなければならない

●プロレタリア論争
伊波南哲の「銅鑼の憂鬱」をめぐり、プロレタリア文学の作家達から
南哲の作品は、プロレタリアの生活に根ざした階級的自覚に乏しいとの
批判が出て、これに対する南哲の反論も出て、喧々諤々、激しい論争が
湧きおこった。これは時代の影響を受けた象徴的な出来事だった。

第5期(衰退期)1937(昭和12)~1945(昭和20
●この時期は1937年7月の盧溝橋事件を発端とする日中戦争から太平洋戦争
を経て、日本が敗戦した1945年までのいわゆる戦時下の文学活動期にあたる。

●八重山でも、国家総動員法のもとで、軍人後援会、時局認識昂揚青年弁論
大会、民心を惑わすとの理由でのユタ狩り、日本精神発揚のための標準語
の励行徹底と方言使用の禁止、大日本国防婦人会の結成、大政翼賛会の
結成、米英撃滅必勝町民大会など色彩のない軍事一色に染まっていく。

●言論においては、マスコミ、住民も徹底した統制下に置かれ、文学活動は
戦争賛美、軍人賛美をうたうようになり、地元新聞は軍事一色、戦意昂揚一色
に塗りつぶされていく。

●こうした軍国主義体制、経済統制、言論統制、文化統制、思想統制という
非常時下、あらゆる自由な表現が抑圧された。

戦後の文芸復興
●敗戦によりそれまでの価値観が崩壊し、自由を取り戻すや、人々はかっての
軍国主義を批判するとともに文芸活動も再び盛んになった。

●しかしながら、戦中戦後を生き抜いた八重山の各分野の指導者、なかでも
知識人、表現者たちは、様々な事情があったにせよ、あるいは積極的、消極的
という違いがあったにせよ、かっては、なんらかの形で戦争遂行に加担した
事は否定できない。

●戦後、そのことに対する反省、すなわち戦争反省について発言した人たちを
見ることはできない。この問いは今でもなお未完結のままである。

ペーチン