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「八重山の古典芸能」~芸大文化講座より

八重山の三線音楽
八重山の三線音楽(節歌)は琉球古典音楽と密接な関係にある。

1700年代「屋嘉部工工四」     古見の浦節
1795年 「琉歌百控乾柔節流」   石屏風節、恋花節、小浜節、港越節(アカマタ節)
1798年 「琉歌百控独節流」    石屏風節、恋花節、小浜節
1803年 「琉歌百控覧節流」    恋花節、波照間節、石屏風節、小浜節
1838年 「冠船芸能(重陽乃宴)」 若衆笠躍の出羽曲「くんのうらぶし」
1869年 「野村工工四」(御拝領工工四)
古見の浦節、揚古見の浦節、イヤリ節、小濱節、石乃屏風節、赤馬節、タラクジ節、
鳩間節、布晒節、白保節、月夜浜節、ナカラタ節(12曲収載)

?八重山舞踊
1866年・1867年「躍番組」(錦芳氏用能)に冊封使歓待と王妃佐敷按司加那志の
生年を慶賀して上演された演目が記載されているが、冠船芸能(琉球舞踊)と並び
八重山舞踊が併記されている。これは、八重山舞踊が琉球舞踊と比肩されるほど
洗練され、様式化されていたのではないだろうか。

勤王流
・冠船芸能の指南役だった比屋根安弼によって創始されたと言われている。
安弼は1896年ごろ流刑に処せられ、鳩間島に流されてきたが、その後
黒島に移り、そこで、諸見里秀思に会う。秀思は安弼から琉球舞踊の
手ほどきを受け、その後、渡慶次長智、森田吉子らに受け継がれた。

・勤王流二十二手振型
安弼が琉球舞踊の型を二十二手に分類し、「起恕」「凱恕」「斜観」「示視」
などの名称が付されている。

八重山の舞踊家
・屋部憲賢~吉浜久枝
・星潤~玉木光、山川政子、前盛文
・玉木光~宇根由基子
・山川政子~荒井三千、本盛秀
・森田吉子

組踊
八重山諸島各地で上演されたようである。
・忠孝婦人、八重瀬、伊祖の子組、忠臣身替、久志の若按司、
多津山敵討、北山敵討、巡見官、大湾敵討、北山崩、父子忠臣の巻、
孝女布晒、護佐丸敵討、銘苅子、手水の縁、執心鐘入、身替忠女等

狂言
・島狂言  ジンヌキョンギョン(例の狂言)
バラーシキョンギョン(笑わせ狂言)
・琉狂言  ウキィナーキョンギョン(沖縄狂言)
・大和狂言 ヤマトゥキョンギョン

ペーチン