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「近代八重山の歴史Ⅱ」~八重山の歴史と文化講座より

旧慣温存策
明治政府は沖縄統治に当たり、「沖縄は日本国内であっても本土から遠隔の地
にあり、おのずから民族の歴史や生活習慣、行事などが異なる」との理由で
当面古い制度を残し、急激な改革は控えるという政策であった。
具体的には、土地制度、租税制度、地方制度、古い社会風俗で、20世紀初頭
まで温存されることとなった。これは沖縄の近代化を遅らせる大きな要因に
なった。

農民は旧態依然の制度の下、旧支配層の圧政と地方役人による搾取など、重税と
貧困にあえいでいたが、こんなに虐げられた貧しい人々でも、精神的には、
自然への畏敬と感謝の念、敬虔な信仰に根差した高い精神性を体現していた
のである。

異国船の見た「八重山来航記」
1843年サマラン号一行が見た八重山の印象を驚きをもって紹介している。

・八重山の人々の道徳的優秀さは目覚ましい。
・犯罪は全くのところほとんどない。
・我々にとってつまらぬ物でも、彼らにとって貴重な品物を盗める機会が
たびたびあったかもしれないが、そういう物が捨ててあったり、そのままに
しておいたような場合、その品物はうやうやしく持ち込まれ、首長がひどく
心配するのだった。一二度我々の器具をちょっとした不注意で失ったことが
あって、しかもその表情には恐縮している様子がありありと伺われた。
・こんな正直な様子を見ると、彼らが善悪の原則についての健全な知覚を
もっていることがわかる。
・我々の荷物を運ぶ苦力(クーリー)でさえ、このような特徴がはっきり
みとめられて、文明の地からこんなにも隔絶した島ではあるが、ひどく
楽しい感情の交換に心の高まりを覚えずにはいられなかった。

ペーチン