5月15日は1972年、沖縄がアメリカ統治下から施政権が返還された日。今日で「復帰の日」から47年となる。
野里 洋さん(1942石川県金沢市生まれ、法政大学法学部卒業、67年琉球新報社入社、著書も多冊)著者の『沖縄力の時代』に「何故 本土復帰は5月15日になったのか?」アメリカ世からヤマトゥヌ世~の一部を紹介します。
ーーー5月15日、復帰の日、戦後、沖縄と同じく米軍に占領統治された奄美大島が、日本に復帰したのは1953年12月25日だった。米国のクリスマス・プレゼントと言われた。
沖縄の復帰は1972年五月十五日、年度はじめの4月1日でも5月1日といった月の初めでもなく、中途半端な日である。なぜ、中途半端な日になったのか?
理由は非常に簡単だ。日米の沖縄返還交渉の中で、日本の出張と米国の主張が食い違った。このため、両方の中間を取っただけなのだ。
日本側は区切りよく、日本の年度はじめの四月一日を主張した。これに対して米側は7月1日(米国の会計年度は十月~翌年九月だが、沖縄を統治していた琉球列島米国民政府の会計年度は7月~翌年6月だった)を主張、平行線にたどった。
1972年1月7日、サンクラメンテで行われた福田赳夫外相とロジャーズ国務長官との会談で復帰の日が、1972年5月15日、正式に決定したが、福田赳夫外相が両国の主張を、足して二で割った形で、その中間を取って「五月十五日」としたことを認めている。首脳会談後の当時首相であった佐藤首相も「うまいこと中を取って決めた」。
最終的にニクソン大統領と5月15日を決めたわけだ」述べ、交渉の内幕を開かしている。これが定説である。
国益がぶつかる外交交渉の実際は、当事者の心とは別に案外こういうものなのかもしれない。(中略)
戦後から74年、サンフランシスコ講和条約の発効から67年、日本復帰から47年の沖縄、今でも変わらぬ国益の為に基地問題はまったく当事者とは別のところにおかれている沖縄の現状
令和の代に変わるのだろうか。