1771年4月24日(明和八年、江戸中期・綱吉の時代)午前8時頃、石垣島南東沖
を震源とするマグニチュード7.4の大地震により八重山諸島は30m前後の大津波
に襲われた。
明和の大津波と呼ばれるこの津波により、住民28,993名のうち9,313名が溺死、
15村落が流失する未曽有の大災害となった。
琉球王府は与那覇親雲上朝起(ゆなふぁぺーちんちょうき)を在番(行政長官)
として派遣し復興に当たらせた。与那覇在番は、荒廃した農村の復興と、疲弊した
農民を激励するなど復興に尽力した。この歌は、与那覇在番への感謝の歌である。
ペーチン