第一回は名桜大学名誉教授新城敏男による八重山の歴史概論でした。
八重山研究の父と言われる喜舎場永珣は、民俗学者柳田国男と沖縄研究の
創始者伊波普猷の強い影響を受け、郷土の歴史、民俗、文化の研究に多大の
業績を残しました。
喜舎場永珣著作物
①八重山島民謡誌
②石垣町誌
③八重山歴史
④八重山民謡誌 増補改訂版
⑤八重山古謡(上、下巻) 柳田国男賞受賞
⑥八重山民俗誌(上、下巻)
喜舎場指摘の八重山歴史の四大悲劇
①人頭税による搾取の悲劇
②強制移住
③台風・マラリア
④明和の大津波
喜舎場の「賄女」観
「賄女に選ばれることは若い女性たちにとっては憧れであり、羨望の
的でもあり名誉なことで、母親にとっても理想だった。」という
主張に対し、當山善堂氏は次のように反論している。
当時の首里王府は行政上の法令集「規模帳」や「公事帳」で「諸役人が公用で
地方へ赴任する場合、その地方の女を賄女として抱え置くものがいるが、その
女は夫や子を持つこともできず兄弟姉妹などの世話になり、老後は困る者も
おり、王府の秩序を乱す要因にもなるので、厳重に禁止する。」と明文の規定
をもって禁止されていました。
食事の世話など本来の身の回りの世話をする人は、人頭税の課税対象外である
14歳以下の男子、または51歳以上の男女しか許されていなかったにも拘わらず
法令を無視して若い賄女を囲う悪習は続けられ各地で悲劇を生んでいったのです。
ペーチン