島唄ブログdiary

シマム二(しまくとぅば)と島歌で心のケアー

知念長宣さん(100歳)

妻苗子の友人(知念あけみさん)は石垣市登野城出身
だが、妹は故郷を早く沖縄本島に出てお姉さんのあけみさんはアメリカ在、、島ム二(シマクトゥバ)がまったく話すことも出来なければ聴くこともできない、しかしお父さんを介護しているのだが、父の話している島ムニがまったく外国語のように聞こえて、さっぱり分らないということで意志の疎通が生まれ非常に困っている。「一度大工さんに来て貰って是非、島の言葉で話して貰えるということできませんかー?」いう依頼は昨年から言われておりました、コロナ禍が収まればということで延び延びになっていたが、先々週、知念家おお父さん
(知念長宣さん100歳)のご自宅にお邪魔して島ムニで
早速、会話する、まずは自己紹介から、お父さんはいつ頃から沖縄本島に移住されたのですか?八重山民謡が大好きで八重山民謡歌手なら「山里勇吉が一番だよー!」と誉めていた「バァーヤ山里勇吉先生ぬ弟子ヤッタユー」(私は山里勇吉先生の弟子でしたよ)と言うと「アンジキードゥ ワヌンうたジョウズラー」(だから 貴方は唄が上手いねー?)あんそんが(だけど山里勇吉やメーダ ガンズーヤロールン」山里勇吉やまだ元気かー?」「アーイ 四年マンタ・後生(ぐしょう)ぬ人なりねーぬゆー
」(四年前にもう亡くなりましたよー)
アンジィー(そうか)と残念がっておられました。
やそんが、大工くんぬウルッキー大丈夫らー!
大工がいるから大丈夫!と思わぬ師匠の話がでるとはビックリでした。人は死して名を残す、偉大な師匠の弟子であったこと誇りに思う瞬間でした。
知念さんとの会話は和やかなムードに包まれた。
「鷲ぬ鳥節」「でんさ節」手拍子で「とぅばらーま」を歌うと一緒に口ずさみ、とぅばらーまは囃子までしてくれた。

♪「思いぬ丈 沖縄とぅ八重山とぅ 面影抱ぎり
 とぅばらーますきたぼーり」
訳(思いの丈 沖縄と八重山の面影をしっかり抱いて
 とぅばらーま唄を聴いてください!)

楽しい、知念宅での歌と島くとぅばジャジャムニ(ゆんたく)訪問時間でした。
知念さん。いつまでもお元気で

知念さんの娘二人と親戚が集まった。