島唄ブログdiary

ねずみ

4連休に合わせてGO-TOトラベルキャンペーンが始まった初日

休校で遊びに来た孫たちと散歩がてらTSUTAYAがある首里リュウボウに

向かって歩いていると途中道端に車に引かれペッシャンコになった

ネズミの死骸1匹を見た。その日、ゴミ収集日で家庭生ごみを

出したばっかりでしたので処理できなかったのは申し訳ないと思った、

孫たちは「ジィジィー・ネズミがかわいそう!」との声には心が痛む。

同じ日、別の道でもネズミの死骸を見つけた。

なんか不気味だな~。

愚生の今年は子年で年男ということもあり、ネズミの格言をいろいろ調べて

いたら大好きな山之口貘(1903-1963)の詩

「ねずみ」(1943年)にヒットした。

〈ねずみ〉

生死の生をほっぽり出して

ねずみが一匹浮彫(うきぼり)みたいに

往来のまんなかにもりあがっていた

まもなくねずみはひらたくなった

いろんな

車輪が

すべって来ては

あいろんみたいにねずみをのした

ねずみはだんだんひらくたくなった

ひらたくなるにしたがって

ねずみは

ねずみ一匹の

ねずみでもなければ一匹でもなくなって

その死の影すら消え果てた

ある日 往来に出て見ると

ひらたい物が一枚

陽にたたかれて反(そ)っていた

 

―――国は戦争中、国民の生命、財産、安全を守ってはくれなく

人をまるでネズミのように軽視されたことに批判した獏の詩。

当時、詩人が反戦を書くことはタブー化された中でも山之口獏は

人間の死をネズミの死骸のように擬人化して巧みに表現した作品

またこの詩「ねずみ」が検閲の厳しい中、安全を軽視した内容に

検閲官は気づかず、詩は出版されたこと痛快な極まりだと

獏はよろこんだそうだ。

ただ、戦争中でなくても、新型コロナウイルス感染者が拡大している

現今にもかかわらずGO-TOトラベルキャンペーンを強引に

推し進めたの政府は旅行業者救済と経済&コロナ感性対策をすれば

うまく経済を廻せる「輔車相依」(ほしゃそうい)存在関係ならいいが

 

中国の成語「魚はエサだけを見て釣り針には気づかない 

人間は儲け(経済)だけを考えて危険に気が付かない」

 

危険を冒してまで前倒してスタートしたGO-TOキャンペーンは

経済を最優先で「ねずみ」のように人間の命が軽視された

悪しき危険な時代に逆戻りしないことを祈りながら道端で

ペッシャンコになっていた「ねずみ」をかわいそうと言ってくれた

孫たちに老爺心ながら命の尊さ「命どぅ宝どぉー!」と教え

TSUTAYAに向かった。