島唄ブログdiary

「ゆかる日・まさる日・さんしんの日」

昨日の3月4日は第34回『ゆかる日 まさる日 さんしんの日」イベントが

開催されラジオは朝から10時間余り生放送され時報毎に「かじゃでぃ風節」が

演奏され各地と結び世界におきなわ三線の音が響き渡りました。

その前に数年前、津堅島で発見された三線の祖と崇められている赤犬子の

生誕地であるということが判明。「さんしんの日」のスタートは

「赤犬子=アカインク」津堅島で建立された生誕地で演奏が始ります。

また昨日の4日は偶然にも沖縄の伝統行事16日(ジュールクニチ・ご先祖様のお正月)

と重なったこともあり、三線の祖にリスペクトを持ちながら「三線に感謝」をもちながら

時報に合わせて「かじゃでぃ風節」を弾いたことだと思います。

第二尚氏時代に古典音楽の創始者として信仰されいる赤犬子生誕地。

赤犬子の生誕地。建立事業に多大な尽力を尽くされた神谷幸一。楽屋で

 

さて、島唄者たちは午後6時から那覇市芸術劇場なはーとの中ホールで行なわれた

公開生出演(歌者はポスター参照)で会場一杯に入場された

民謡ファンの皆様と一緒に午後9時まで楽しむことができました。

 

 

 

那覇市芸術劇場なはーとのホールで踊る幕明けの「かじゃでぃ風」を躍る。リハーサルから

 

愚生の出番には初出演の池田陽生くん、伊藤幸太、屋嘉部允の笛で「桃里節」を熱唱

左・池田陽生、右・伊藤幸太

宮良村の古謡「船ぬ親じらば」を(中声・裏声)を苗子と交互歌唱で披露させていただきました。

左・池田(三線)右伊藤(太鼓)

「船ぬ親ジラバ」というジラバを初めて聞かれた方もきっと多いとおもいますので、

ちょっと 注釈させていただくと・・・

この歌は、波照間島の名石(なーいしぃ)村の船の親(うーねぬやー=船頭)

とその妻との恋愛を歌ったラブソングです。

本来は、本声(ふんくい・朗々としたリズム)、から転調して中声(なかんぐい)、裏声(うらんぐい)トーシィ(通し)という順に歌われる。言わば3段階のリズムに変えて唄う珍しい歌の形態をもつ数多いユンタの中でも宮良村の名歌「船ぬ親ジラバ」のみである。

歌の内容は、船頭(船ぬ親)さんは私の愛する夫であり幼い頃から許嫁の夫婦であった。こうして結ばれた夫婦は幸せに暮らしていたが、突然夫は私を捨てて他人の所へ行ってしまった、別れた妻は実家へ戻っても夫の身の上を思い偲びながら、帰りを待ち詫びていた。ところがいつまで待って帰って来ない夫、居ても立ってもおられない、夫の好物の3日発酵漬けの酒を造り、野菜の味噌和物をこしらえて、夫の家に通うようになった。その愛情に惚れ直した夫(船頭)は妻と仲直りし、元のさやにおさまったという、女の愛情を描いた長編叙事「船ぬ親ジラバ」労作業歌である。

ーーー「さんしんの日」や新譜CDの「タノール」でも時間の制約があったので

「本声」は歌えなかったが、いつか、本声から中声・裏声を通しでうたってみたいね。

改めて思うのは

こんなすばらしい名曲労作業うたを作ってくれた先人達に感謝をします。

出演者、中央の国吉真勇さんとは、本当に久し振りだよね。

 

民謡シンカ(歌者たち)は日頃中々お会いできないので4日の「さんしんの日」では

楽しみな「同窓会」みたいな「場」となり楽屋は和気あいあい楽しい時間なのだ。

なによりも「さんしんの日」の提案者・上原直彦兄(創始者)に心から感謝を

しながら、出番が終わると、また来年合おうねー!とみんなと別れた。

 

本番前に出演者が楽屋に集り、集合写真、はい!イチ、ニィ、サンシン!!

長時間という生放送。RBC(社)のスタッフのみなさん。

会場に来てくれた民謡ファンのみなさん!

出演者のみなさん、本当のお疲れさんでした。

ありがとうございました。

来年のさんしんの日まで、あと 364日!!

 

シーブン(サービス)

本日、杉並支部の吉原さんから写真頂きました。

実は公開放送の会場でみていた奥野さんから送られてき写真を

送ってくれました。紹介しますね。

公開番組の出演に当って暖かいメッセージを贈っていただいた

大東支部の柿木さま

杉並支部の吉原さま

ありがとうございました。

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