9月16日数え100歳の天寿を全うされ唐旅に立たれました故宮城信勇先生。
多大な先生の功績(主に「石垣方言辞典・八重山諺辞典著者他多数」)を称え、生前、高潔なお人柄の先生に世話になった八重山出身者郷友のみなさんが中心となり今夜、八汐荘で「偲ぶ会」が営まれました。というより、和気藹々と長寿を肖る御祝いのような雰囲気でした。
著名な方々の信勇先生との思い出話、プロジェクターで先生の写真を紹介、
愚生は先生と同じ新川の出身、また三男の信紀とは竹馬の友、
長男の信行(いずれも故人)ともNHK勤務の時からお世話になっていました。
そんなよしみがあって島ムニ(八重山方言)で先生を語り替え歌デンサ節で信勇先生の半生を詠った。また宮良康正さんも「とぅばらーま」を山本藍さんと披露した。
最後は信勇先生が作詞したという「八重山高等学校歌」を合唱して
閉会となった。すばらしい偲ぶ会、きっと先生も天国で「ボーレボーレー」(お利口さん)と喜んでいることだと思います。
実行委員の皆様、お疲れさんでした。
PS 今日、友人から写真が届いたので写真&思い出追加UPします。
95年、愚生がTBS・筑紫哲也のニュース23に出演することが決まり
信勇先生に「とぅばらーま」を歌いたいので「先生、歌詞を作ってもらえませんか~?」とお願いしたら、ヨシヨシ!と快く作詩してくれましたのが
1,「こうばなーぬ基地や なーなーぬたまで 大和んかい分け 持たさるば」
訳(拡大な沖縄の基地は 各県の責任で 県外に分けて 基地を持っていけないか)
2,「基地ある故ぬ 此ぬ哀り苦りししゃ 国中けーらし たんでぃ考やーとーり」(沖縄は基地がある故 苦しさを強いられている 日本中のみなさんで、
どうぞ考えてください)その歌詞で歌って来なさいと、後押しされ、ニュース23で歌わせて貰ったエピソードもありました。
あれから、なんにも変わって基地情勢、むしろひどくひどくなっていないか
先生が作った、とぅばらーまの歌詞はこれからも歌い続けます。
改めてご冥福をお祈りいたします。