島唄ブログdiary

奄美と八重山うたコンアーカイブ

宮里千里が70年代から80年代にかけて録音された貴重な音源を「聞く会」が

昨夜、前島にあるBer「よなき」で80年のはじめの頃、

愚生と奄美大島の歌者・坪山豊さんと魂をぶつけ合って競演した「奄美・八重山のうた」コンサートを

東京目黒公会堂、奄美大島、久髙島で開催した時に宮里千里がオープンリールレコーダで

同録した音源を「皆で聞こう!」と千里が呼び掛けた「聞く会」は回を重ねる事にファンが増え

3回目で最終回の昨夜は常連さんや初めて来場された沢山のお客さまで枡席を埋めておりました。

なつかしい音源を聞きながら思ったけど、今は「あの当時のように高音では歌えないなー?」

自分の声量の衰えをヒシヒシと感じながら昔はパワーがあったなーと呟いていると

隣に座っていた石垣市大浜出身の愚生よりちょい若い昔お姉ちゃんが

「昔は声量もあったかも知れないが、私は今の落ち着いた大工の歌が好きです!」と

ハッキリ言ってくれました。嬉しねー!!ニファイユー(ありがとう!)と御礼を云いました。

 

常連の仲間たちと、左は千葉からワザワザきてくれた宮里ファンのお嬢さん。

録音は正直で、あの頃の歌声をきちっと残してくれるツワモノ

なによりもレコード(記録)としてのアーカイブなのである。

それを宮里千里が理屈ぬきに証明してくれた「聞く会」だったではないか?

でも、アノ時があったから自分の今がある

後期高齢者になった今、確かに、あの頃の声量には戻れないかも知れないが

「昔は良かったね」って言われるのも良いけれど

大浜の昔お姉さんが云ってくれた「今がいいねー!」と何時までも言われるように現役で頑張りたいね。

歌者は「死して歌声を残す」である。

坪山豊兄と一緒に歌えたことは本当に幸せでした。

そして「あの頃は本当によかったねー!」


改めてご冥福をお祈りいたします。

アリギャタ サマアリオタ(ありがとうございました。)奄美語