八重山最大の祭り「豊年祭」は今週末に行なわれます(先週済まされた島や村もあります)が
石垣四ヵ字(しかあざ)「登野城、大川、石垣、新川村のこと」は今週末盛大に
行なわれます。
豊年祭のことを「プール」「プーリぅ」「プーリン」島々村々によって呼び方が少々異なります。
漢字に当てますと「穂礼=ホレイ」、五穀の稲、粟、麦の「穂=プー」「礼」は「礼=リゥ」を
合体させて「「プーリゥ」になった説と「プーノーリゥ」穂が稔る(ノーが脱落して)「プーリゥ」。
穂が稔る穂年を願う儀礼祭りになったと言われております。(あくまでも自説)
「今年の豊作に感謝し、来年ぬ豊年を願う」いわば「世願い」(ゆーにんがい)をする最大の神事とされています。
そこには単なる豊年を祈るだけではなしに、すべてのこの世が平和(弥勒世)に
なり人々の生活が豊かになるという思いを豊年の神事をとおして神様(ニーラスク・カネーラスク・ニライカナイ)に
お願いする神事でもあります。
また〈新川村豊年祭伝記〉にも・・・・
八重山諸島では稲の収穫が7月の初旬ころに終りますと、ちょうどそのころ旧暦6月になります。
癸みずのと、甲(きのえ)ネ、うし、とり、とら、の一日を選んで
豊年祭が行われます。東の海の遥か彼方には「ニライカナイ」があり、
つねに神はその楽土より島を見守ってくださるという信仰土壌にさまざまな土俗が育ちました。
豊年祭もその一つです。
夏の良き日を選んでニライカナイの神を招き、今年の五穀の実りへの感謝と来る年の豊穣を祈り、
オンプールと村プールとの神事を二日間渡りくり広げてきました。オンプールは純粋なる神事ですが、
村プールはお嶽に旗頭をうちたて、人々がお嶽にあい集まり、成婚こめて作った旗頭をうち立てて、
さまざまな素朴な芸能をさわやかに奉納し大綱を挽き、
夕日がにしの彼方に押し沈むまで豊年祭りを楽しむという伝統行事なのです。
いつも此の節になるとプーリゥ(豊年祭)ことが浮かび望郷に念にかき立てられます。
なによりも、今年の豊年を願い豊作に感謝し来年の世果報年をも
お祈りしましょう!!