島唄ブログdiary

友好親善の聖地

和歌山県すさみ町に行って

どうしても行きたい処があった

すさみ町の隣村串本に「トルコ軍艦遭難慰霊碑」である。

8年ほど前トルコに旅してトルコの人達が日本人に対して

すごく親日なる感情を抱くのが不思議で、通訳に聞いたら

トルコ軍艦が遭難したとき命がけで救助した串本の人達のお陰があったことを知らされてから

絶対に行ってみた処である。

 

慰霊の碑を案内してくれたのは弟子の地元出身の川邊さん。

雨の降りしきる中、懇切丁寧に案内して貰いました。

説明板から・・・

 

遭難した海域

 

エルトゥールル号の記念館

慰霊碑

トルコ軍艦遭難慰霊碑

 

明治23年9月16日(1890年)トルコ国皇帝特派使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号が

日本から帰り暴風雨のために

この慰霊碑眼下の海域(串本海域)に臨む船甲羅岩礁で難破しました。

エルトゥールル号の絵画

 

ムスタファ・ケマル・アタテュルク騎馬象
トルコの英雄、初代大統領の象が両国友好の地に栗本町に寄贈、設置された。

島民は献身的な救助活動を繰り広げ69名を救助しましたが、

580余名の乗組員の尊い命がうばわれました。そして、引き揚げられた遺体をこの丘に埋葬しました。

翌、明治24年に和歌山県知事をはじめ、

有志の義金により墓碑と慰霊碑が建立され併せて追悼祭が行なわれました。

この碑は昭和4年の昭和の昭和天皇の樫埼行幸を聞いた

トルコ共和国ムス多ファ・ケマル・アタテュルク初代台東料が新たに慰霊碑を建立することを決定、

トルコ共和国の資金により昭和12年6月3日(1937)に完成したものです。

トルコと日本の友好親善の原点が串本にあった。

この話には続きがある。

イラン・イラク戦争の時に48時間後に迫った攻撃に

取り残された日本人215名にトルコから駆けつけた救護機2機に日本人全員がトルコのお陰で脱出できたのだ。

それも1990年に起きたトルコ軍艦エルトゥールル号の悲劇からはじまるトルコ・日本の絆の物語である。

今回の「すさみ町コンサート」で沢山の名所旧跡

(橋杭岩、トレトレ市場、大島、串本、熊野三社巡り、那智の大滝)外

見所満載、案内されましたが、そして「すさみ町の名産」などブログでは紹介出来ませんが

機会をみて投稿したいと思います。

また三日間1500㌔距離くらいドライバーをしてくれた

大哲会東京あらかわ支部長の藤川さん。本当にご苦労さんでした。