島唄ブログdiary

粟国村の《十五の春》

粟国島のゆるキャラ
昨年リニューアルした。アーニーちゃん。

 

3月は「旅立ち出会いと別れ」の季節と言われております。

卒業、就職、転居などによって慣れ親しんだ学校、職場環境に別れを告げることは

新しい人との出会いがたのしみな一方、何故か不安な心が落ち着かないことも多いものです。

離島県である沖縄は中学校しかないため卒業すると高校入学や就職するため島を

離れる子どもたちが多い、その事を「15の春」と言って子ども達が島を離れる惜別の

シーンをどうしても見届けたいため、その出港が19日と情報を受け粟国島へと急遽船に乗った。

もう一つその別れの時に昔は「シターリ節」を歌って見送ったという歌伝承者の与那のり子さん

が19日歌おうと提案して呼び掛けていたので、そのことにも心を引かれ粟国島へ気が向いた。

何時も凪の時にしか乗っていなかった船旅とは違い、今回は天気が悪く凄く船は揺れた。

なんか55年前故郷石垣島を離れたとき宮古丸に乗った時を思い出した。

島を離れる二人の為に
多くの学校関係や島人が見送りにお別れ式

二人は皆の前で力つよい将来の抱負を誓っておりました。チバリヨー!!

送られる主人公の
りゅうと君とモアちゃん

 

思い出すといれば、なんと言っても二人の子ども(りゅうと君、モアちゃん)を見送るために教職員や多くの島の人達が

見送る五色のテープの別れも昔を思い出す。

もうこの別れのシーンは他にあるのかな?粟国独特の別れシーンなんだろうなーと思いました。

与那さんと島のおばちゃんが揃って二人の別れの歌

シターリ節を歌ってくれた。同行した妻苗子は感動して涙が止まりませんでした。

愚生も久しぶりに波グルグルー(涙そうそう)でした。😢

 

島を離れた子どもたちが立身してまた島に戻ってくることを願っております。

あぁーいい光景を見せて貰いました。

送別会では髙良村長のあいさつ

余興として座開き。かじゃでぃ風節

粟国村の名曲「むんじゅるー」これを観ないと粟国に来たきがしない。

子どもたちも「粟国島」踊を披露。

島の民謡愛好会のメンバーの「兄弟小節」「安里屋ゆん」た」レベルが高い唄声であった。

そして、夜は離島振興総合センターで

「学校、診療所職員送別会」があるというので

サプライズで出席とプチ出演。「シターリ節」、シターリ節の歌詞で「とぅばらーま」

苗子の「さよなら港」で座を多いに盛り上げた。

サプライズで粟国島に来たことがよっぽど嬉しかったのでしょう?

村長始め三役がビックリして、急遽愚生の為に歓迎会を開催してくれました。

副村長の与那城さんが
愚生とのエピソードをユーモアーたっぷりに話してくれた。

粟国近海で採れる新鮮で美味しい海産物を舌鼓ながら

談笑しながら各自カラオケを歌い時を忘れて気づいたら日にちが変わっておりました。

帰りはタクシーもないのでホテルまで約800メートル

闇の夜の空を観ると旧暦10日の綺麗なお月さんが島を美しく照らしておりました。

島でしか味わえない静寂な夜の月

粟国島へ来るといつも沖縄の原風景を見せてもらえる場所である。

観光大使としてこれからも粟国村の良さを発信していきます。

港の入り口に設置されている「シターリ節」の歌碑

一つの目的が「シターリ節」歌碑建立された場所に

「シターリ節」音源設置(ミュージックボックス)を設置に向けて

一歩、一歩進めて行くためにもがんばります。

どうぞ 粟国村のみなさん。今後とも宜しくお願いします。

親父の代からお世話になっている伊佐寿正さん親子がワザワザ見送りに来てくれました。なんとお土産に自分で釣った赤マチを大量にいただいた。大好きだけに凄く嬉しい。また与那さんからも粟国島の名産「かりんとう」をいただきました。ありがとうございました。

いただいた。アカマチ

昨年粟国まつりで
「シターリ節」を踊ってくれた、アヤネちゃんとカンナちゃんとも再会できました。