島唄ブログdiary

豊年祭(四カ字)

豊年祭のことを石垣島では「プーリゥ」と呼んでいます。

各村々ご自慢の旗頭

 

石垣島の四ヵ字(しかあざ=登野城、大川、石垣、新川)村では

ユーニンガイ(世願い)と称し、

今年の豊作への感謝と来年の豊年豊穣を祈願する祭りです。

「プーリゥ」の語源は諸説あるがプーノーリゥ(穂が実る)ノーが脱落して「プーリゥ」また「穂利」などと当てる場合もあるが

いずれも納得します。

八重山諸島では稲の収穫が7月初旬頃に終えると

ちょうどその頃旧暦の6月の壬(みずのえ)癸、(みずのと)の

中から良き干支日を選んで豊年祭が行われます。

各島々村々で開催日は異なります東方海上の遙か彼方には「ニライカナイ」八重山では「ニーラスクカネーラスク」があり、つねに神はその楽土より島を見守ってくださるという信仰土壌が根強く、豊年祭もその一つです。旧暦6月の良き日を選んで二日間豊年祭が行われます。

ニライカナイの神を招き、今年の五穀豊作の実りへの感謝と来る年の豊穣を祈り、

オンプールとムラ(村)プールとの神事を二日間に渡りくり広げてきました。

アヒャズナに選ばれた女性が歓喜の舞

 

御嶽(オン)プーリゥは純粋なる神事の祭祀ですが、

二日目のムラ(村)プーリゥはお嶽に精魂を込めて作った旗頭をうちたて、

登野城、大川、石垣村、双葉村、近年は農学校、

農協なども参加され祭り人衆がお嶽にあい集い、

各村々の自慢の豊年の芸能をさわやかに奉納し五穀の種子を受け渡し、

大綱を挽き、ツナヌミン(東西大将同士の戦い)、

そして夕日が西の彼方に押し沈むまで豊年祭りを

楽しむという八重山(石垣四ヵ字)最大の伝統行事豊年祭なのである。

 

 

 

 

ところが今年は大型台風6号に振り回されて

オンプーリゥは3日(木)予定とおり?

しめやかに行なわれるそうです?(台風の状況を見ながらなので、あくまでも予定です)

そして村プーリゥは6日(日)に延期になったと報告ありましたが、

これもあくまでも台風の状況をみながらの実施となるそうです。

 

 

 

無事に6日プーリゥが開催されることを心から沖縄本島より

お祈りしております。

石垣島出身者は豊年祭の時季になる肝ドンドンしながら故郷に思いを馳せます。

ツナヌミン(東西の大将が闘う)プーリゥのクライマックス

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーシーブン(サービス)懐かしい写真・・・

「大工とカンナ(漢那)兄弟で神歌」

ウフミシャグ(大神酒)パーシ(囃子)神歌を

神様に捧げた時の写真

2004年大工兄弟と漢那兄弟が豊年祭に揃ってマイツバ御嶽で司と「ミシャグパーシ」したときの懐かしい写真。