島唄ブログdiary

しまくとぅばが話せる悦びと「十・十空襲があった日」

吉川安一先生(中央)
波照間永吉氏(右側)

2回目の「しまくとぅば講師養成講座」が北部雇用能力総合センターで朝9:30~13:00でありましありました。
本日、特別受講生として吉川安一先生(芭蕉布の作詞者)と
北部八重山郷友会の高那裕八さん共々参加してくれました。
さて、
波照間永吉講師は「八重山シュマムニの特徴」
(1)イ段に対応する中舌音(ア行、カ行、サ行、
   タ行、パ行、バ行)
(2)W行音からb行音に対応した音となる。
・wa → baなど・・・
(3)語中・語尾のg音がn音に変化・脱落する
・マギサン(大きい)→マイシャーン・・・
(4)k音がh音にへ変化する語があある
(5)五頭のキゥがシゥへ変化する語がある。
(6)s音がh音へ変化する地域がある(宮良村)
語彙には独特なものがある。(日本古語との対応/対応語不明)
・助詞にも独特な語がある。
・動詞の形は大きく四つある
・丁寧・尊敬の表現
・尊敬の意を添える補助動詞:オールン
最後は「雀親孝行」を読むー語の説明を中心に(口頭および板書)

愚生の講座資料は昭和15年「石垣校標準語行進曲」の歌の背景と「方言札」から見えてくる
方言撲滅運動を推進した当時の沖縄県知事と柳宗悦氏が対立した「方言論争」に発展した後から方言ば衰退した実相がいまの「しまくとぅばの日」を制定して方言普及に努める現状があることは否めない。いまからでも遅くない、「講師養成講座」で受講された皆さまは「方言励行行進曲」で方言を復興させ、是非、生活の中に生き生きした「シマくとぅば」を使って欲しいもんです。
最後は折角、吉川先生が参加しているので、みんなで「芭蕉布」を合唱。今回も受講された伊藤幸太くんに「月ぬ美しゃ」を歌ってもらい講座は閉講しました。
おつかれさんでした!

「芭蕉布」皆で合唱

もう一つ
今日の10月10日は77年前(1944)那覇の街を破壊した「十・十空襲」があった日、
沖縄戦が始まる前の年の昭和19年(1944)10月10日、沖縄県内の各地がアメリカ軍の激しい空襲を受けたもので、668人が死亡、768人が負傷し、那覇市の9割が焼失しました。
空襲から77年となる10日、那覇市の戦没者をまつった碑の前で慰霊祭が行われたそうです。最近はあまりメディアも紹介していないが、けっして風化させてはいけないと誓った日でした。