島唄ブログdiary

ブドゥリゥ(踊)の巨星が逝く

故本盛秀「唄者の肖像」より

 

八重山伝統舞踊保持者の本盛秀さんが老衰のため7月3日96歳で旅立たれました。

本日(8日)石垣ゆいホールで告別式が行なわれました。

参列できませんでしたが、きっと、ご家族や多くのお弟子たちに送られたことでしょう。

心からご冥福をお祈りしております。(合掌)

八重山踊りの大きな宝がまた失われた思いで一杯です。

ーーー本盛秀さんは1963年、八重山を代表する舞踊化の山川政子氏に師事、

77年、自身が会主を務める秀風会八重山民俗舞踊研究所を立ち上げ、

2002年度県文化功労賞。2004年県無形文化財、2009年旭日双光章(文化財保護功労)

を受章と多く賞を受賞されています。

2019年「秀風すでぃ果報」発表会では95歳で元気な踊りを披露し大喝采を浴びて

以来現役から退き二代目「秀風会」の本盛美奈子(長女)に託し

「むかし 風から あたらしさを もとめて」初代母のレガシーを守り

二代目が秀風会を立派に継いでいくことでしょう!

秀先生の旦那様の故本盛茂さんは愚生の親父と友人、二代目の美奈子さんは

愚生の同期生ということもあり親しくさせておりました。

♪形(かたちぇ)うしゅばん(失っても)ぶどぅり(踊り)や残り

秀風会(しゅうふかい)のてぃー(手)やいつ世(ゆ)までぃん

〈大工作〉

訳(秀先生の姿形が失っても弟子たちが秀風会の踊りの手を残し

いつ世までも継いでくれるであろう)

1995年、東京虎ノ門ホール(六調節を踊る本盛秀先生)貴重な体験でした。東京八重山郷友会主催「島唄の競演」より

 

今日の7月8日は語呂合わせで那覇市が制定した7・8「那覇の日」

また愚生の上の孫が16歳が(7・8)誕生日を迎えた。

秀先生の告別式日は忘れられない日になるであろう。