『綠の牢獄』(GREEN JAIL)という
西表炭鉱の映画を桜坂劇場で観た。
閉ざされた過去、残された人々の記憶
マングロープ林の奥深く過酷な自然に囲まれた炭鉱は
綠の牢獄と呼ばれた。
10歳の年代で台湾から養父に連れてこられ学校で炭鉱の蛮人と呼ばれたので
学校へも行けなかった。
台湾から西表島に渡り80余年島に住み続ける一人の女性の
アンサクセス・ストーリー!
歴史から追放され置き去りにされた人たちが歴史の証人となる
越境者は何故、この地にとどまったのか?
一言、一言が歴史の証言者となる貴重な語り。
台湾の異才黄インイク監督が7年間の歳月を費やして描き
出したという渾身の一作。
はじめて愚生も知る西表炭鉱の謎と真実
八重山の西表秘境の地の歴史を
世に伝える貴重な映像と語り。
台湾のオバァーの日常の生活一つ一つが
台湾と八重山の精神文化が重なる。
愚生が色々書くより
ーージャーナリスト・『沖縄・西表炭坑史』著者)三木健さんの
「完成によせる寄稿」コメントを紹介します。
西表炭鉱の最後の残り火が消えた。生まれ故郷の台湾から、
炭鉱労働者の管理人の養女として海を渡ってきた橋間良子(旧名・江氏緞)にとって
西表はやはり「緑の牢獄」であり、彼女はその犠牲者であった。戦後、
「牢獄」から解き放たれた彼女に、もはや帰るべき故郷はなかった。
年老いた彼女は、それでも台湾人としてのアイデンティティを失うまいとした。
台湾語と日本語が、交互に出てくるつぶやき。自分はいったいどこの人間なのか。
孤独の影が忍び寄る。台湾人の誇りを失うまいと腕に嵌めたヒスイの腕輪が、
痛々しく揺れる。
二人の子宝に恵まれながら、二人とも失った悲しみと悔しさ。
孫のように若い台湾人の黄インイク監督のカメラ・アイは、
そんな彼女に寄り添うかのように、そっと背中を追う。
数年の歳月をかけて追い続けた92年の生涯に、
台湾との深い関わりを刻んだ西表炭鉱の歴史が、
炙り絵のごとくあぶり出される。橋間のおばあさんよ、
せめてもの後生で息子たちに囲まれ、
安らかに眠られんことを。
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三木健(みきたけし)さんのプロフィールを紹介
ジャーナリスト、「西表炭坑」研究の第一人者。 1940 年沖縄県石垣島生まれ、八重山高等学校、明治大学政経学部卒業。1965 年 琉球新報社に入社。93 年から98 年まで編集局長、06 年6 月まで琉球新報社取締役副社長を務める。また、ラジオ沖縄取締役会長、石垣市史編集委員、竹富町史 編集委員、沖縄県シーカヤッククラブ顧問などを務める。著書に『八重山近代民 衆史』、『沖縄 ・ 西表炭坑史』、『宮良長包- 沖縄音楽の先駆-』、『戦場の「ベビー!」 タッちゃんとオカァの沖縄戦』など多数。
ーー映画は東京でも上映予定ーーー