石垣市大川178番地にある宮良殿内(どぅんち)のことを
地元の呼び方では(めーらどぅぬずぃ)と云い、八重山の方でしたら
殿内の知識は誰しも知っている重要文化財です。
初めての方には宮良殿内の歴史を紹介したいと思います。
まず宮良殿内は1819年「文政2年・尚灝王(しょうこうおう)
16年)」に琉球国の八重山宮良間切の頭職(八重山行政官の最高職)に
ついていた宮良当演親雲上(ペーチン)が、首里の士族の家屋を模造して
建てた殿内の面積187,3平方メートル。
八重山の最高の建木チャーギ(イヌマキ)を用いて建築された。
屋敷の廻りには143㍍の石垣を築き、
東南面には赤瓦本ぶきの屋門を築け門口(ジョウフツ)にしている。
また庭園は首里の庭園師・城間親雲上の設計によって
枯山水に造られていて庭の名勝にも指定されている。
1667年(尚質王20年)に首里王府は建造物制限令を発し、
この宮良殿内は明らかに身分不相応と、2度も取り壊しが命じられたが、
宮良当演は首里の明令に屈せず、1874年(明治7年)に
御検使(うけんし)富川親方の説得によって、ようやく茅葺きに改造されたそうです。
そして1899年(明治32年)に建造物の制限が解かれた後、
再び宮良殿内は瓦葺き替えられて今日に至っていると文献にありました。
そして1964年から石垣市の所有となり、
1972年には国の重要文化財および名勝に指定された。
ーーーそんな立派な沖縄の赤瓦葺き木造建築家屋から
11月3日(祝)の12時から「やいまぬむじか企画」が
民謡ライブ動画をYouTube配信いたします。
乞う ご期待ください。
下の「八分盃」と陶器の枕は
宮良殿内内で所管されている貴重なモノです。
←八分盃、一名「教訓盃」ともいいまして
水を満杯にいれると全部無くなるという
「腹八分目」欲を出すな。八分は健康にもいいと
教えてくれる盃である。
← 盃に実際水を入れてみると
ごらんのとおり、水が全部したたり落ちる