島唄ブログdiary

桑の実

先週、首里にある三線稽古場の近くに桑木に実が鈴なりに成っている「桑の実」を発見しました。

桑の木

 

 

 

 

 

 

 

「慶良間やミーシガ・(睫毛)マチゲーミーラン」ではないですが、

そんな近くに桑の木があったので、うれしくて、赤い実から紫の実を摘み取り食べてみました。

昔と変わらず甘かったです。美味しかったです。

その実を八重山では「ナネ-ズ」と云います。

沖縄では「ナンデンシー」。

愚生の子どもの頃は食料難時代だったの

桑の実は大変ご馳走でした。

食べ過ぎて口が真っ赤になるまで、夢中になったのを昔なつかしく思い出しました。

宮良長包(ちょうほう)作曲、宮里静湖(せいこ)作詩の名曲

「桑の実」という歌があります。

「桑の実」は作詩の宮里静湖さんの故郷久米島が舞台にできた唄で

桑の実の唄がつくられた1931年といえば、

久米島紬の生産が盛んで、養蚕が村を上げて行われていたころである。

しかし、この養蚕も、1941年に太平洋戦争が勃発すると、

食量増産の名のもと桑園がつぶされ、久米島紬の生産は急速に衰退して行った。

かっては八重山もどちらの(屋敷内)や畑で桑の木(くゎーぎ)を

見ることができたが、いまではほとんど見ることが少なくなった。

1932年(昭和7年)宮良長包・作曲 宮里静湖さん作詩の「桑の実」は

動揺唱歌の雰囲気があり、やさし宮良長包のメロディーと宮里静湖の詩はどこにいても

故郷を写してくれる名曲「桑の実」です。

野苺のような「桑の実」

 

 

 

 

 

 

 

もう一つ久米島には「桑ムイ」節というのがあります。

「ムイ」とは「ムイン」桑の実をもぎ取ること、

八重山では「ブルン」チゥンブルン。と云います。

桑ムイ節の内容は「桑ムイゆなじき、山登てぃ居らば

里や草刈りに なじき忍でぃいもり」

意訳:桑の葉もぎを口実に、あたし山で待ってますから、

あなたは家畜のエサ草刈りを口実に忍んで来てね。

そこで真心を語り合えたら、あたし死んでも骨になっても構わないよ。

桑の葉で成長した養蚕で大量の糸をかけ、

トンボの羽のように上質な着衣(ちゃくい)を織ってあなたにあげよう。

でも山中での忍恋路が他人の知るようになっても、私あの世に行っても構わない!

恋の成就には思い切りが第一よ。

すごい思い切りの女からのラブコール

恋心を打ち明けたらもう死んでもいいと。

南国女性のもえたぎる激情を吐露した美しい旋律の恋唄。

いまは桑の実の葉を刈りにかけつけて逢い引きすることはないが

人が恋する情念はいまも昔もかわりないというのに

昔「骨まで愛して」という唄がありましたね。

六調節にも「昔その方変わらぬモノは川の流れと恋の道」とあります。

久米島で生まれた「桑の実」と「桑ムイ節」二つの唄は、桑に因(ちな)む唄として

後世まで歌い継がれることでしょう。

 

 

 

 

 

 

因みに「桑の実」「桑ムイ節」の音曲は22日(木)のFM石垣さんさんラジオ「歌マール」で聞くことできます。