愚生のアルバム「ウチナージンタ」にもカバーされている童謡唱歌「汽車」のメロディーに替え歌で歌われている「川平線風景」(故小波本直俊が昭和28年作詩)の一句に
「♪やがて水道が出来るのも牧志市長のお陰です!」その牧志宗得氏(1886 ~1974)は戦後二代目の市長の当選し3期つとめられた。市長在任中は石垣島の上水道敷設に貢献した。上水道は、於茂登岳の水源から市街地に水を通すという画期的なもので、白水の水源の発見と米国軍政府の理解と莫大な資金援助により市民の悲願であった浄水場が完成されました。
市長になる前は石垣島で自宅兼診療所を開設し医者としても患者からも人気があり医療行政にも大きく貢献された。FM石垣サンサンラジオの木曜14:00 ~15:00番組「歌マール」では牧志先生が大正8年石垣村で感染症のコレラが大流行、県防疫医として嘱託され、身命を堵して奮闘されたエピソードなど、現今のコロナ禍とオーバラップする感染症対策。本日のオンエアーです。乞うご期待!
附録:去った2月ふるさとに帰省した際、石垣やいま村(旧八重山民俗園)を訪れた。そこには石垣島著名な旧家を移築して昔の佇まいを残した「やいま村」である。そこに牧志宗得市長&旧牧志邸が移築されてあった。
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下手に愚生が紹介するより、やいま村園内の紹介版から転載することにします。
―――石垣やいま村に入ってすぐの所にある旧牧志家住宅主屋(以下牧志邸)は、沖縄本島の那覇から石垣島に移り住んだ指物職人、牧志家十一代当主宗保氏が1923年(大正12年)に長男の牧志宗得氏(医師、のちに石垣市長三期歴任の医院開業のため、二年の歳月をかけて建てたものです。牧志邸はイヌマキ、クロキなど八重山の一級建材を使用した八重山の代表的な建築様式の家屋で、彫刻などが巧みに施されており、全体の工法は釘を用いない貫木式となっています。建物は、木造平屋建、建築面積123㎡、寄棟造本赤瓦葺で、入母屋造屋根の玄関が付けられています。
元診療所兼住宅の居室部分で、トコと棚のある一番座と二番座、三番座からなり、四周に縁廊下が廻れています。 建物内は間柱を省略した間取りとなっており、軒や天井を高くすることにより、開放的な空間が造られています。 なお、正・側面には雨端が設けられています。
この主屋は、元は石垣市字大川にあったものを1980年に現在地に移築したものです。 2007年(平成19年)12月5日に国の登録有形文化財に登録されました。