島唄ブログdiary

震災地での記憶

今日の3月11日(水)東日本大震災から15年が経った。

大震災時の映像で見せつけれた脅威は今でも焼き付き離れることがありません。

風化させずに語り継ぐことが大切である。

日頃からお世話になり親しくお付き合いさせていただいている郷友の

仲筋信夫さん(東京在・南風花食品の社長)と息子の仲筋信和さんが震災地で恐怖を

感じたことの談話が新聞に載っておりました

紹介しますと・・・

昨日(10日)琉球新報の記事

東日本大震災時、仙台の港近くの「夢メッセみやぎ」で食のイベントが開催して全国から100社が出店。沖縄そばの製造、販売をする父の会社、南風花食品(東京都)も出店し、仲筋さんは会場にいた。「お昼の忙しい時間を過ぎて仲のいい出店者と外に出ると、地震で揺れた。目前の道路が上下にうねっていた。その瞬間父親から教えていただいた「逃げよ」の教訓が生かされた。

父親の信夫さんは生前、母親から何時も聞かされていたという。

仲筋信夫社長の息子信和が語る震災地の恐怖

それには今から255年前の1771年明和の大津波(湖上85㍍ 因みに東日本大震災で湖上高40、5㍍、犠牲者が全人口の約3割が犠牲にあった(宮古・八重山合わせると12、000人)というから如何に大津波だったと言うことが判る)で島全体が呑み込まれ未曾有な打撃をうけた八重山の先人達が得た経験があったからこそ仲筋家の父母から教訓が引き~継がれた慣用語「高い所に逃げよ」「いざと言うときは何も持たずに逃げろ!」残した防災意識の教訓が15年前の東日本大震災でも生きた「老馬の智」として後世の子や孫の命を救う結果となった。

ブラジル公演の為に製作した三板、

ブラジル公演でサンバを打つ苗子2011年

東日本大震災直後、チリ、ウルグァイ、アルゼンチン、ブラジル(サントス、サンパウロ)へ国際交流基金の主催で澤田勝秋、木津しげり、らと巡回コンサートを実施した時に震災地(陸前高田)で流木された桜木を特別にお願いし取り寄せて三板を50セット製作してブラジルの各地で三板のワークショップをしたら大好評を受け「フェザーハポン」がんばれ日本と士気を高める意味でブラジル大国で小さな沖縄の楽器「サンバ」を鳴らし仙台の代表する民謡「大漁歌い込み・斉太郎節」を歌い震災地へ南米からエールを送った時の公演を思い出します。音楽家は音楽でもって1日も早い復旧、復興を願い肝ガシィ(心の応援)もできる。

風化されることなく「復興節」を歌いつづけております。

常日頃からの防災意識の心得をわすれる事無く

改めて仲筋さんが、教訓を言葉を教えていただきました。

 

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