先日、南風原ジャスコで開催していた「青森フェア」でライブをした
山上進の津軽三味線の音がいまだ余韻嫋々たる感動が残っているので
山上進とユンタクしたことを書き添えたい。
頂いたCDアルバムのライナーノーツから
山上進のプロフィールを紹介します。
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昭和32年生、青森市出身、
10代の頃から津軽三味線奏者として才覚を現し、横笛、尺八を
芸域を広げ現在多方面において活躍中、また、近年は古典楽器および
シンセイサイザー等との共演をするなど、津軽三味線の伝統を守りつつ
新しい分野を見いだす活躍をしている。
山上進は伊奈かっぺいと共に青森では超有名人なのである。
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ライブ休憩の合間にスタバーでコーヒーをご一緒した。共通している話題を紹介してみると、
青森も沖縄・八重山もヒト昔まで三味線を習う者なら「遊び人」と後ろ指さされ、
三味線では食えないよ」とまで揶揄された時代が青森でも、あったと知った、同じように八重山でも学生が
三線を弾いていると「ピラツカ」(ナマケモノ)や「遊び人になる」など「三線はやめなさい
学校では勉強するところ」と父親はじめ周囲の人からも叱責されておりました。
それには終戦直後貧乏しながら誕生した我が団塊の世代に将来の八重山に期待する大人達の本意だったと思います。
家業の農業を継ぎ、いい仕事に就き、未来の八重山に大きな夢を託していのであろう。
愚生よりも若い山上世代の青森でも「芸は身を滅ぼす」などと言われ
日本の東の津軽と南の沖縄・八重山で芸を享受すると揶揄を浴びて育った世代の芸は自分で言うのも可笑しいが、
本物だと思っております。
お互い昔を振り返り共感した話ができたことは
三味線と三線は若干異なるが芸を歩む精神は一緒なのである。
「芸は身を滅ぼすどころか、今は「芸で身を立てる」存在となり
芸能文化として世にも理解されていることに大きな喜びを感じております。
きっと昔から、どこにも芸を見下された環境で頑張って乗り越えられた方は多いと思います。
歌や三味線というのは、たかが娯楽にしか取り扱われなかった、芸する人は仕事ができない、
などと巷間では聞かれたのを唄の跳ね返しをした津軽のドダレバチ「津軽甚句」という歌がある。
愚生も大好きな歌です。
♪「唄はよいもの 仕事ができる 話悪いものその手が止まるホーイホイ」
(歌が上手な人は仕事も良くできる 話下手な人は仕事も捗らない)
♪「人のよしあし 歌でも知れる 声と節とでなおさらわかる」
(人の性格は 歌を聴いても判る 声と節廻しを聞けば尚更である)
♪「夫婦二人で田の草とれば 広い一町田もアリャせまくなる」
(夫婦で一緒の田の草取れば 広い田圃も狭く感じる)
・・・新安里屋ゆんたの
「サー田草とるなら十六夜月夜 二人で気兼ねも
ヤレ水入らず」の発想と似ております。(参考まで)
ーーー「津軽甚句」の歌詞を打ちながら、自分で「そうだ! そうだ!」と
舌打ちをしながら納得した・・・・
めやぐだ、 ありがとうごす。(津軽弁でありがとう!)
益々、山上進の活躍を楽しみにしております。
機会をみて共演したいね。約束しました。
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