島唄ブログdiary

CD発売記念唄会 大成功!!

昨日「タノール」CDを発売記念に浅草の木馬亭で愚生の唄会がありました。

 

お陰様で大盛会理に終えることができました。

先ずご来場くださいました皆様

ありがとうございました。

遠くは名古屋、長野、大阪からも

会場に足を運んでいただいファンの方

拙ブログを借りて御礼申しあげます。

 

大きなスタンドの花は

大哲会・荒川支部から贈られました。

通りすがりの多くの観光客も花を見ながら

「何の公演だろう?」覗いておりました。

一部は新譜に収録された曲を中心にお披露目演奏

木馬亭の緞帳デザイン。
いまか、いまかと待ちわびるお客さま

〈1部〉島唄バージョン10曲
 大工哲弘(唄、三絃)大工苗子(唄、筝)
 大城朝夫(島太鼓) 板橋眞希(笛)

 

一部のステージ

 

〈二部〉は愚生の肝入れの曲をセレクトし

 中尾勘ニ(CL/SS)熊坂路得子(Acc)
 吉田悠樹(ニ胡/マンドリン)サポートに「美しき天然」「命ドゥ宝」「高田渡供養の唄」「あめりか節」他6曲、計10曲

二部のステージ

最後はカチャーシーで終演と思ったが、アンコールのコールがかかり、「マクラム道路」「沖縄へ返せ」でやっと

終わりの御許しを得たほど、後半は最高潮に盛り上がりました。

オールスタンディング
アンコールとカチャーシー

日曜日の貴重な時間を裂いてご来場いただいた皆様、本当にありがとうございました。

またCDもお買い揚げにいただき、二重の喜びです。

公演終了後、出演者一同さまと

大哲会の会員も多く応援に来てくれました。
写真は荒川支部と杉並支部の皆さん。

唄会主催&CD制作のオフノートの神谷さんのご苦労が

報われた1日になったことだと思います。

本当に長い間CD録音3年間、お疲れさんでした。

愚生に取っても9月28日は素晴らしい思い出にのこる

演奏会と新譜CDリリースの1日となりました。

すべてに感謝です。

打上げので乾杯の音頭を取る荒川支部の藤川支部長

長野県伊那市からの外間紀子さんも遠来から来てくれました。大哲会に近々入会される予定です。大歓迎です。

音楽仲間の吉山くんも来てくれました。浅草だから着物でおめかし、お似合いです。

 

 

 

ーーー今回の唄会のお客さまからFacebookなどで唄会の間奏が投稿されておりますので

拙ブログで紹介したいと思います。(本人のご了解も得ております)

小野健彦さんのフェスブックからの転載文です。

私にとって、待ちに待った(国の内外を問わず精力的な活動を続ける)八重山民謡の唄い手史上最重要人物のおひとりとの初対面が叶ったこの日。

先ずは、この会の主催者に名を連ねた「offnoteレーベル」主宰者神谷一義氏との久しぶりの再会が嬉しいところ。果たして、

定刻からやや遅れて開幕した今日のステージでは、大工さんにとってはいつものことなのだろう、

曲間毎にウィットに富んだジョークと駄洒落/言葉戯び満載の軽妙な語り(小話?)を挟みながら、1部では、ニューアルバム収録曲を中心に、

2部では氏の想い入れのある楽曲を中心に(中には、〈イムジン河〉〈生活の柄〉〈安里屋ユンタ〉等々が含まれたが)、

更には本編最終では客席全員が参加したカチャーシーが繰り広げられる場面を経た後、文字通り満場の拍手に応えた

アンコール二品に至る約20曲、時間にして2時間半を存分に使って、(客席を楽しませ尽くそうとする)

ショーマンシップも含めた現場に生きる唄歌いの真髄を見せつけてくれた。
ニューアルバムの帯に踊った力の入った文句「唄の匠•声の業。先人たちが八重山歌謡に蓄えた心の財を、

混迷する現代を生き抜く力に変えて蘇らせた南島謡人渾身の力業」はそうとして、今日私の眼前で繰り広げられたのは、

謡に対する掛け値の無いひたむきさがひしひしと伝わり来る珠玉の「音曲ショー」であり、

その終始肩の力の抜けた普段着の気高き表現者の佇まいからは、彼の地の海岸にそよぐ南風〈ぱいかじぃ〉の様な

おおらかと和やかさを想起させられて、終始こちらの口角は緩みっ放しとなった緩やかな日曜午後の時の流れだったと言える。

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旧友の

岩神六平さんの投稿紹介します。

オフノート / ディスクアカバナー主催によるCD発売記念コンサートに行ってきました。このレコーディングはFBで見ていると、紆余曲折しながら3年ぐらいかかっているのではないだろうか。
「タノール」とは八重山の言葉で「器用さ・巧みさ・手練れ」などの意味を持つ。唄巧者を評して「タノール美しゃ(かいしゃ)」などと言う。大工の哲っちゃんが、自らを「タノール美しゃ」とは思わないが、歌い続けていればいつか必ず「哲ちゃんタノールがあるね~」と言われる日が訪れることを信じて歌いたいということをCDのブックレットに書いている。大工哲弘とは実はもう50年近い付き合いになる。僕が今の仕事についてすぐの頃、山下洋輔トリオの沖縄での演奏にマネージャーとして同行することになった。沖縄民謡の大御所たちと山下洋輔トリオのジョイントコンサートでなんでも竹中労が仕掛けたのだが途中で逃げてしまったとかなんとかで…。詳しい経緯は知らされていないのだが、沖縄民謡といっても何の知識も無く、でも嘉手苅林昌、登川誠仁、照屋林助、饒辺愛子、大城美佐子とどうやらとんでもない大物の皆さんとご一緒するということだった。ジョイントと言ってもただ山下トリオの出番があるだけで、一緒に共演するわけではなかった。あちらでは僕と同年配ぐらいに見える2人がかいがいしく皆の世話を焼いている。僕ら「やまとんちゅ」組もこの2人のお世話になった。もう細かいことは覚えていないのだが3都市3公演ぐらいだっただろうか?この頃はギャラは取っ払いが当たり前だったが、最終日の終演後に受け取れず翌日空港に届けるという話だった。ところが翌日空港で出発の時間になっても現れない。「いやぁ、参ったな、どうしよう?主催の実体はあの若者たちなのか、沖縄の唄者皆さんの総意なのか?どうなっているのだろう。」と。そこに連絡があったのかどうかは忘れたが、トリオのメンバーは先に帰して自分だけ次の便に変更して待つことになった。「本当に来るのかな?下手したら泊まるのも覚悟で若者たちを追いかけるのか?」う~む俺の仕事は取り立て屋だったのか?なんて色々な考えがよぎり始めた頃息せき切って2人だったか1人だったか忘れたがようやく表れてギャラを受け取ることが出来た。胸をなでおろして感謝を述べて機上の人となることが出来たが、俄かマネージャーとしてはなかなかの体験をさせてもらった。その後沖縄とは縁があって、しばしば行くことになるのだが、もっぱらジャズの現場で民謡の皆さんとはお会いすることが無かった。そして月日は過ぎ、自分が体調を崩して一時リタイアし、ジャズの世界からは何となく足抜けし、ロック系の事務所で又動き始めた頃、イベントの仕込みなども始め、邦楽や民謡、ワールドミュージック系のものも扱うようになった。そんな時だったと思うが沖縄民謡で何か無いかという時、りんけんバンドやネーネーズ、沖縄ものとは言わないが上々颱風などが話題になっている頃、一番これだ!と思ったのが大工哲弘だった。

前者3グループは知名定男も含めてどこか企画ものと言うか話題作りが先行していて、でも一番地味に見える大工哲弘が本物だと思ったのだ。
それで何の現場だったのか忘れたが、ひょっとしたらサンヨーホールの企画だったか?定かではないが、
どこかでお会いして出演依頼してその後本番を迎えた最初だったのか、何度目かだったような気もするが話をしていて、
あの空港の時の若者だったということに気が付いた。あの2人の若者が大工哲弘と知名定男だったのだ。
もっとも大工さんは最初から僕のことに気が付いていたような気がするが、そこはまだ確認していない。
あの頃まだ2人とも駆け出しで、あの大御所たちのアテンドを2人でしていたのだ!
この2人はあの公演の時ステージにも立っていたのか、
或いはお囃子でもしていたのか全く記憶に無いのだが、とにかくあの大御所たちと比べたらまだ坊やだったわけで、
こちらも東京から坊やの付き人がのこのこ付いて行っているわけだもん、しかも何の芸も無いし(爆)。
この日の大工さんはもうというかとっくに立派なタノール美しゃだったよな!沖縄民謡界の本物の大御所だとつくづく思う。
冗談とダジャレが空回りしがちなところも含めて素敵です!奥様の苗子さんも!!!カーペンターズよ永遠に 
ーーーーー小野健彦さん。岩神六平さん。フェスブックから紹介させていただきました。
御二人に身に余る光栄なる評価をされ、これから益々がんばらなくっちゃーと意欲が燃えております。
本当にありがとうございました。
タイミング見て一緒に飲みましょう。

 

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